Man in the Society

身近なことに目を向けるブログ

 勉強の楽しさは『つながる快感』にあり -勉強の苦手な子はなぜ苦手なのか

 

「勉強が苦手な子」はなぜ勉強が苦手なのだろうか。

 

 僕は少し前まで塾講師のバイトをしていた。家の近くの小さな個人経営の塾で、小中学生が主なターゲット。

地元の「少し勉強が苦手な子」が生徒のほとんどを占めていて、成績も平均より下の子が多い。塾で教える内容も、学校の授業の復習と補習がメインだった。

 

 バイトをはじめたころ、勉強が苦手な子に教えることがいかに難しいかを思い知らされ、悩んだ時期がある。

勉強が得意だった僕自身は、「勉強が苦手」ということに想像力が足りてなかったと思う。

 

 

 「苦手」

「勉強が苦手な子」は、勉強を苦しそうに、苦しそうにこなしているのだ。

勉強に楽しみをほとんど見出していない。だから意欲的に勉強しないし、多くの場合成績もよくない。

それこそ、勉強は「嫌いな食べ物を食べさせられ続ける」感覚みたいだ。

 

 僕にとって勉強は「楽しい」が当たり前だった。もちろん、つまらない部分もある。だが、総合的に見れば圧倒的に「楽しい」だった。だから進んで勉強をしてきた。

それこそ、美味しいものに自分から手を伸ばすように。

 

 勘違いするひとも多いが、これは性格の問題ではない。不真面目だから飽きっぽいからとかではなく、根っから真面目な子でも勉強が苦手な子は多い。

真面目な人でも、嫌いなものを毎日何時間も食べ続けるのはつらいだろう。

(むしろ真面目な子のほうが余計に苦しむ。たくさん勉強しようとするから、苦行の時間は長いうえに成果が出ないのだから)

 

 

「勉強が苦手な子」はなぜ勉強が苦手なのだろうか。

と一時期考えていた。

 

 そして僕が見つけたひとつの特徴は、

「勉強が苦手な子は『つながり』を見つけることが苦手」

ということにあった。

この結論に至ったきっかけは、僕が勉強を「楽しい」と思える瞬間から逆算してみたことだ。

 

*******

 

 僕が勉強を楽しいと思える瞬間を自問自答したとき、『つながり』を見つけたときだという答えが出た。

『つながり』を見つけた時、僕は『つながる快感』といえるものを感じることができる。

 

『つながる快感』とは、一見関連のないように思えることの間に関連を見つけること。

一つの「点」だと思っていたことが、ほかの点と点がつながって「線」になること。

 すでに知っていることが、線のようにつながって難しい問題を解くカギになること。

 

もっと砕いていえば、「あー!だからね!」という感覚だ。

 

何かわからない問いがあって、その答えが思いもよらぬところから出て解決できたとき、ある種の快感が脳に走る。みなさんにもそんな感覚に覚えがあるだろう。

これは笑い話のオチが予想外だと面白いのに近いと思っている。

 

 

「勉強が苦手な子」はつながりを見つけるのが苦手で、この『つながる快感』を感じることが少ない。

勉強を「点」の集まりとしか認識できていないのだ。

 

 

 たとえば数学はわかりやすい。

中学校の数学では「一次方程式」を習い、そのあと「二次方程式」を習う。そして乗法公式や因数分解を経て、最後に二次方程式を使った面積問題などが応用として登場する。

俯瞰してみれば、

 一次方程式 → 二次方程式 → 乗法公式 → 因数分解 → 応用問題

と前に習ったことを使いながら解いていくことが分かる。実際、学校のカリキュラムもこの順を追うようになっている。

しかし、「勉強が苦手な子」の思考はこうなっている。

 一次方程式 | 二次方程式 | 乗法公式 | 因数分解 | 応用問題

つながっているはずの各単元を別々の話として捉えてしまっている。

間は「矢印」でつながっているのではなく、「壁」となって分断されているのだ。

 

 

 よく「基礎が抜け落ちている」というが、これも勉強が苦手な子が点でしか勉強を捉えられていないゆえだ。

「先生、〇〇おしえてほしい」と言われて教えてみると覚えが悪く、確認してい見るとそれ以前の基礎がそもそも出来ていない、というようなパターンがよくあった。

前者と後者には『つながり』がないと思っているから、目の前の課題だけ頑張って勉強しようとしてしまう。そして案の定できない。

これは数学以外にも文系・理系の科目問わず、あらゆる分野に共通する話だ。

 

 僕自身も中学生だった当時からこの『つながり』を意識していたわけではない。だが、「前に習ったこれを応用して使えば解けるんだ!やった!」という快感を勉強から得ていたと思う。だから勉強を続けられた。

RPGでキーアイテムをゲットしながらダンジョンをクリアしていく感覚で、ひょいひょいひょいと楽しく勉強することができた。

学校で勉強したことが日常生活の他の場面で出てきたときも、『つながる快感』を得ることができた。

 

 

 「勉強が苦手な子」は矢印を作る・見つけることができない。それはつまり、勉強の楽しみの真髄ともいえる『つながる快感』を味わうことができないということだ。

それでは勉強が「苦行」なのも当然である。

学校でほぼ毎日朝から夕方までやらされるだけで相当な苦痛だろう。授業も身に入らなくなるし、家に帰っても勉強したくなくなる。

 

 つながりを見つけられない → 勉強が楽しくない・苦しい → 勉強に集中できない → つながりを見つける能力が鍛えられない

という負のスパイラルに「勉強が苦手な子」は陥っていく。何かきっかけがないと抜け出せることはめったにないから、内容が難しくなるにつれ成績はどんどん下がっていく。

 

 

 ここで注意したいのは、「勉強が苦手な子」にもつながりを理解する能力は十分にある場合が多いということ。『つながり』を丁寧に説明すれば理解し、面白さに目を輝かせる子もたくさんいる。

気付いてからは、つながりを意識しながら教えるようになった。すると、だんだんと勉強に対して意欲的になっていった子もいる。

苦手な子は、つながりを「見つける」のが苦手で、『つながる快感』を知らないだけだ。

 

*****

 

 『つながり』というのは言い換えれば「意味」なんだと思う。

人間はやることに「意味」を見出したときに生き生きとする生き物だ。

逆に、自分のやることが「無意味」だと思えば急速にやる気を失う生き物でもある。

 

 だから、勉強に『つながり』を見つけられる子は楽しく勉強し、どんどん「勉強ができる子」になっていく。勉強に意味を見出せるから。

一方、勉強に『つながり』を見つけられない子は苦しみながら勉強し、どんどん「勉強ができない子」になっていく。勉強に意味を見出せないから。

 

 学校の勉強というのは、正直生きていくうえで不要なことも多い。大人になればほとんど忘れてしまうような内容だ。たしかに内容それ自体は「無意味」だと言ってもいい。

勉強が苦手な子は勉強に対して冷笑的な見方をしている子が多かった。

「勉強なんて意味ないのに、頑張るなんてだっさ。」という斜に構えた見方だ。

意味の見いだせないことに全力を出すのがばからしいのも当然だ。

 

 だけど、勉強を通して『つながる快感』を知った子は強い。

その気持ちよさを知っているから、地道な勉強を難なく続けることができる。結果もついてくる。

どうせ進学するなら、勉強はしなくちゃいけない。それなら楽しく勉強したほうが効率もいいし、いい高校・大学にも行ける。

 

 

 『つながる快感』の強さは大人になっても言えるのだろう。大学でも、就活でも、仕事でもなんでもそうだ。

「今の努力」と「将来の目標」を意識して、その二つが『つながる快感』を待ち望む人は、そこに向かって一生懸命努力できるし結果も出すこともできる。

 

 学校教育は無駄といわれがちだが、『つながる快感』を見つけるコツを学ぶための良い訓練期間ではないかと、最近思うようになった。

 

 もし「勉強が苦手」と悩んでる子が周りにいたら、「つながりを見つけてごらん」と教えてあげてみてほしい。少し勉強が楽しくなるかもしれない。