Man in the Society

身近なことに目を向けるブログ

「成功は努力だけではなく環境にも左右される」を実感した話

僕は大学で音楽系のサークルに入っている。ある年の春、サークルにドイツから来た留学生の女の子が1人入ってきた。Kさんと呼ぶことにしよう。

彼女にはある悩みがあった。異常といっていいほど楽器の上達が遅かったのだ。

普通より上達が遅かったり、平均より能力が劣るとき、人はすぐ「努力不足」を疑ってしまうものだ。僕も初めはそれを疑ってしまった。でも、本当は別の理由があったのだ。

 

 

僕が所属するサークルで演奏している楽器はマイナーなものなので、ほとんどの人が初心者から始める。ただ、難しい楽器というわけでもない。音楽経験の全くない初心者でも、半年練習すればある程度は弾けるようになる。

どの新入生も夏休みの合宿を終えたころには、上級生との合奏にもまあ付いていけるレベルまで上達するものであった。

 

その留学生のKさんは春から僕の大学に交換留学で来たドイツ人で、音楽の経験はないが日本で部活やサークルを経験してみたいということで、僕が所属しているサークルに入部を決めたらしい。

性格はまじめで、楽器の練習には熱心に打ち込んでいた。日本語は上手く、部員とのコミュニケーションに問題はない。忙しい授業の合間を縫って、夜遅くまで一生懸命練習している姿をよく見た。

 

しかし、Kさんが入って半年たった9月ごろ、僕は強い違和感を覚えた。

他の初心者と比べて上達が遅すぎるのだ。異常と言ってもいいくらいに。

他の一年生が楽々と弾けるような曲が全く弾けない。他の部員と合奏をすれば、必ずついていけなくなり手が止まる。そもそも一人での練習ですらテンポがズレたり音を間違ったまま弾いていたり、まともにできていなかった。

 

 

実を言うと、Kさんの上達の遅さの兆候は9月より前から感じていた。

彼女が入ったばかりのころ、横について練習を見ることが何度かあったのだが非常に要領が悪かった。たとえば、彼女はテンポ感が希薄で、音楽を練習する際の超基本である「ゆっくり正しく弾く」がまず出来ない。楽譜が読めないとかの問題ではなく、「こんな感じ!」と横でゆっくりと実演してみても、リズムを正しく掴むことが難しい。

僕を含めた上級生は初心者を教えることに慣れていたはずだったが、Kさんに教えるのには皆が四苦八苦していた。他の初心者が一度教えたら掴むことを、彼女には5倍の時間をかけて教えなければならなかった。だが、Kさんの練習を見なかったという訳ではない。時間を見つけては、上級生が交代しながら教えるようにしていた。

 

「ただ練習量が足りていないだけだろう」と、僕はKさんが上達しない理由を考えていた。有体にいえば、「努力不足」だと思っていた。

音楽では自主練の時間がモノを言う。いくら付きっきりで教えてもらっても、何度も反復練習しなければ技術が身につくことはない。また、サークルで楽器を触って練習できる時間にも限りがあるので、それ時間以外にもイメージトレーニングなどで練習していかなければ上達しない。彼女はそれを分かっていないのだ、と思っていた。

とはいえ、遅いながらも少しずつ上達しているのも確かだし、そのうちコツを掴むだろうとも考えていた。

 

Kさん本人も今は練習時間があまり取れていないと言っていた。授業が毎日遅くまであるから夜の少しの時間しか来れないし、受けている授業は宿題が多過ぎて毎日精一杯らしい。そもそも日本に来たばかりだから生活に慣れるだけでも一苦労だろう。

ただ、本人も夏休みに入れば時間は沢山取れると言っていたし、何より夏の合宿に参加する予定だと聞いて安心していた。

サークルの合宿は8月の夏休み中にあり、4日間朝から晩までひたすら練習をする。

合宿なら上級生からマンツーマンでみっちりと教わることができ、自主練の時間も大いにとれる。大抵の初心者はこの合宿で大幅にレベルアップできるのだ。

僕自身は予定が合わず合宿の練習には参加出来なかったが、終わった後の上達ぶりを楽しみにして待っていた。

 

 

合宿の終わった9月、久しぶりにサークルの練習でKさんと再会し、弾いている姿を見た。だが、何かおかしい。ほとんど上達していないのだ。合宿に全日参加していたはずなのに、相変わらず自主練すらまともに出来ていない状況のままだった。

繰り返すが、Kさんは真面目で練習を適当にしているなんてことはない。普段から意欲高く取り組んでいる。ネックだった練習時間も夏休みと合宿で十分に確保できていたはずだ。

再び彼女の練習に付き合いながら、僕は「これはあまりにもおかしい」と違和感を覚えていた。普通あるべき成長具合に、彼女はあまりにも達していなさすぎる。

その時、ある考えがふっと思い浮かび、Kさんに質問してみた。

「Kさんって、学校で音楽の授業とか受けたことある?」

Kさんの答えは、「受けた覚えがない」であった。

 

 

忘れてしまった人もいるかもしれないが、日本では小学校から中学校まで義務教育で音楽の教育がある。高校でも美術や書道と並んで選択科目の一つとして音楽がある。

日本で育てば、歌の練習や楽譜の読み方(音符の種類、拍の取り方、音楽記号など)に加え、「リコーダー」や「ピアニカ」で楽器を弾き合奏する教育も受けることができる。今の学習指導要領では小学校の3~4年でリコーダーの演奏が推奨されており、現在大学生の世代もその通りに教育を受けている人がほとんどだろう。

実は、日本で育ったならば少なくとも音楽の基礎の基礎は、得手不得手はあろうが全員習得しているのだ。

Kさんはドイツで小中高と教育を受けてきたが、音楽の教育を受けた覚えはないという。「もしかしたら、小学校1~2年で歌の練習をやったかもしれない......」というぐらいであった。(ドイツ=音楽の国 というイメージもあったから、なおさら予想外でっもあった。)

 

サークルには音楽経験のない初心者が多い。でも、そんな「初心者」でも前提として小学校6年間+中学校3年間の計9年間は少なくとも音楽の教育を受けてきている。

僕らは僕らの楽器、またはピアノや吹奏楽、軽音などを今までやったことがない人を「初心者」と呼んできた。対してKさんは、その「初心者」にも及ばない段階にあったのだ。それゆえ、他の「初心者」の日本人と比べても上達が異常に遅かった。

いや、遅いのも当たり前である。「初心者」の日本人と、Kさんでは最低でも9年間以上の教育の差がすでに存在しているのだから。

そんな彼女にとって「テンポ」や「拍」なんてものがそもそも未知の概念だ。音楽記号の概念も一から覚えなければならない。そんな状態で合奏なんて出来るはずもないのだった。

 

正直にいえば、合宿にいった他の部員はKさんを教えるのを段々と嫌がるようになっていたらしい。無理はない。他の「初心者」なら分かるはずの説明で彼女に教えても理解してもらえず、上達する気配が見られないのだから。

「一拍」の概念がない人に「一拍」を教えるにはどうしたらいいのだろうか。僕たちが義務教育で習った音楽の概念は、知識として思い出すことはできなくとも感覚として身体に染みついている。無意識の感覚を言語化して説明するのは、音楽が上手い・下手とはまた違うベクトルの能力だ。それには、日本人に日本語を説明するような難しさやもどかしさがあるように思う。

サークルの全員が彼女に「音楽の概念がない」ということに気付いていなかった。学校で音楽教育を受けたなんて当たり前すぎて思いもよらない。そして、それは彼女にも当てはまる。彼女自身も、自分に音楽の基礎が欠けているという自覚のないまま、周りの「初心者」と同じように練習していた。うまくいかないのも当然である。

 

「彼女にはやる気がないのではないか」

「もっと努力すればいいのに」

こういった雰囲気が何となくサークルには蔓延していた。

本当のところはみんな彼女が努力していることは分かっている。練習量は他の「初心者」とも変わらないはずだ。だが、上達という結果がきちんと現れないがためにこういった考えが無意識に頭によぎってしまうのだ。

 

 

「成功しないのは努力不足だからだ」という論調は、世の中に広く蔓延している。西洋型先進国で広く共有される自己責任論のベースともいえる考え方であり、確かに理にかなった考え方ではある。

だが、失敗した人や結果が出ない人を見たとき、それを条件反射的に突きつけるのは本当に正しいことなのだろうか。

当たり前の話だが、現在同じ立場にいる人であっても、人それぞれ異なるバックグラウンドがあり、同じ道を歩んで来た訳ではない。そして、そのバックグラウンドには「努力」以外にも、本人の意思とは関係のない「環境」も含まれている。

「努力」の重要性を否定したい訳ではないが、「環境」の影響力はとても強いのだ。それを無視するのは論理的とは言えない。

 

成功や失敗の理由を探るとき、「努力」には目を向けがちだが、それまでその人が育ってきた「環境」は軽視しがちではないだろうか。

ともすれば、「他人も自分と同じ環境で育ってきたはずだ」というバイアスを僕たちは無意識に持ってしまっているのではないだろうか。

そんなことを考えさせられる話であった。