Man in the Society

身近なことに目を向けるブログ

就活は「自律」を示す通過儀礼である

就活は、現代日本社会における「通過儀礼」のような役割を持っているのではないだろうか。

そう考えると、近年、企業がなぜ「自律した人材」を求めるかが見えてくる。

 

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「通過儀礼」とは「子供」が「成人」へ成長するための儀礼である。

ここで言う「成人」とは、二十歳になったとか、形式だけのお祭りごととなった成人式を終えたという意味ではない。被保護の状態から社会の構成員、庇護者へと移るという、実際の変化を伴った儀礼である。

儀礼では、「成人に相応しい能力を持っているか」が問われる。

儀礼を無事に終え、能力や資質を示すことができればその者は社会から認められる。そして「成人」として社会の一構成員として迎え入れられるのだ。

 

日本では就職した人を「社会人」と呼ぶが、これは僕たちが「働く人が社会の真の構成員」と考えていることを表している。

もちろん、経済の文脈で働いていない人は社会に属していないというのは言い過ぎである。だが、働きコミュニティに貢献する者こそ「社会人」であるという考えは社会通念であろう。

働き始めてやっと、真に社会から「成人」として認められるのだ。

 

バヌアツの一部地域では通過儀礼としてナゴール(バンジージャンプの起源)が今でも行われている。そこでは子供たちが数十メートルの高さから飛び込み、「男らしさ」や「勇敢さ」を示すことで社会から成人と認められる。

日本で学生たちは、就活という通過儀礼を通してどんな能力を示すことが求められているのか。

 

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 日本の学生が就活という通過儀礼を通して示さなければならないもの、それは「自律」ではないか。

現代では「自律」した者が成人であり、働くに相応しいものなのだ。

 

たとえば、就活の時期が近付いて来ると、学生たちは一様に頭を悩ませ始める。

「どの業界?」「どの職種?」「知名度が高い方がいいかな」「年収は?待遇は?」「休みはとれるかな」「大企業か、中小か、ベンチャーか」......

この悩みは就活中晴れることがほとんどない。就活は「どこへ就職すべきか」という問いの連続であると言っても過言ではないだろう。

 

なぜ就活生はこれほど「どこへ就職すべきか」で悩むのだろうか。

それは、多くの学生にとって「自律」という経験がないからだ。

ほとんどの学生は生まれてから二十数年間、レールに乗っかった人生を送って来る。小学校から大学まで、他の人たちと同じことを、決められたことを学べば全く困ることはなかった。むしろ決められたことをよく勉強することこそが、「成功」と言われてきた。

 

これは受験で成功してきた難関大学の学生だろうが関係はない。

難関大学の学生は「決められたことをよく学べた」ゆえに難関大学に入れただけで、「自ら道を切り開いた」ということではないのだ。

だからFラン生だろうが東大生だろうが、就活をするときには等しく頭を悩ませることになる。

 

「就活もレールの上だろ」という声もあるだろうが、そうだとしてもレールの数が全く違う。

大学までの道のりが田舎の単線電車とすれば、就活は新宿駅に放り込まれるようなものだ。さながらダンジョンに迷い込んだように、右往左往することとなる。

 

「自律」とは、自らの考えで自らを律し行動することである。

成人は、子供のようにただ指示に従って動くだけではいけない。自分の意思で行動することが求められる。

ジャングルでの狩りを想像してみて欲しい。どこに獲物がいるか分からない状態だ。この時、進む方向や狙う獲物を決められない者や、指示がなければ動けない者、無鉄砲に動いて仲間を危険に晒してしまうような者を「成人」だと言えるだろうか。

 

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最近の企業がこぞって「自律した人」を求めるのは、ビジネスであっても自律した者こそ役に立つと分かっているからだ。

ジャングルでの狩りと同じで、指示がなければ動けないような者はビジネスにおいて足手まといとなる。目を離した途端、働かない者や危険に晒される者をわざわざ仲間として採用することは非効率であろう。

「成人」として、仲間の一人として、自分の意志で歩を進められる者が働くためには必要なのだ。

 

就活生は、自らが「自律」していること、つまり誰かにレールを敷いてもらわなくても自分の足で歩けることを企業にアピールしなければならない。

そのために使えるのは、よく言われるだろうが、部活動やアルバイト、インターンシップ、ボランティアなどレールの上にはないことをした経験だ。

どんな難関大学にいようが、授業を真面目に受けているだけでは「自律」しているとはいい難い。授業はあくまで「受ける」もの。受け身の行為であり、自律して動いているとはいえないのだ。

 

 

注意すべきは、就活はあくまで「通過儀礼」であり「能力があることを示す場」だ。

これまで自律した経験をしてこなかった者が、面接やESの段階になって「自律」をアピールしようとしても、もう手遅れである。裏付けがない主張ほど信用できないものはない。

 

「自律」は一朝一夕で身に着けられるものでは決してない。

日々、小さくてもいいからレールからはみ出した一歩を踏み出し続けた結果として、後からついて来るものである。

まずは、第一歩目を踏み出すことから始めよう。