Man in the Society

身近なことに目を向けるブログ

若者はもう「承認欲求」では動いていないのかも

「SNSに自撮りや"映える"写真、自慢話を投稿して承認欲求を満たす」という若者像はよく語られます。

その後ろには「承認欲求が先行して問題行動を......」と付けられることもしばしば。SNSを通した承認欲求は「いいねの数」で満たされると言われ、「いいねを貰うためにモラルに反した行動や過剰な演出をしてしまう若者」もよくセットで語られます。

最近だと道に捨てられたタピオカミルクティーの容器はインスタグラマーのせいにされていますね。

 

SNSは承認欲求を満たしたい若者に溢れる現代社会の代名詞となり、人気を博してきました。

しかし最近、そんなSNSの象徴でもあった「いいね」に変化の兆しが見えています。

 

techcrunch.com

appllio.com

FacebookとInstagramは「いいね」の数を非表示にするテストを2019年の夏から開始しました。

これには「いいね」の数を過剰に追求する傾向を抑制し、ユーザーの幸福度の向上を目指しているそうです。Facebookがメンタルに悪影響を与える研究は数多く発表されてきましたから、その流れを受けたものでしょう。

いいね数の非表示は運営側による規制ですが、一方でユーザー側にも「いいねは要らない」という要望が少なからずあることが読み取れます。

 

もしSNSが承認欲求を満たすための道具として一般に使われているならば、このような規制は起こり得ないはずです。

ソーシャルメディアにとってユーザー数は生命線であり、Facebookはいいねを非表示にしてもユーザー数を維持できるor増やせると考えているからこそ、機能のテストに踏み切っているはずです。

 

僕は現役大学生で「若者」の一人なのですが、よく語られる「承認欲求を満たすためにSNSを使う若者像」には違和感を覚えます。

僕自身はほとんど使わないものの、Facebook, Instagram, Twitterなど主要SNSのアカウントを持っていて、同年代の周りの人たちとも繋っています。

 

他の「若者」の投稿を見ていても、承認欲求を満たすことを目的としたような過剰に映えた写真、自撮り、自慢話の投稿をする人は滅多にいません。

というのも、そういった「マウンティング」と受けとられる投稿が嫌われることは、もはやあまりにも有名になってしまっています。

 

また、基本的に実名でオープンなFacebookを除き、鍵アカを使う人が多いです。それはSNSが「内輪の世界」であることを意味します。なおさら承認欲求を押し出した投稿をすることは躊躇われるのではないでしょうか。

 

SNS以外にも若者の「ブランド離れ」や「車離れ」は以前から言われており、承認欲求を原動力にした行動というのは少なくなって来ているように思えます。

 

とはいえ、若者によるSNSへの"映える"投稿は依然として続いています。「いいね」機能がなくなった後もそれが続くとすれば、若者は承認欲求以外の何を動機にSNSを使い続けるのでしょうか。

 

それは「自己承認欲求」だと僕は思います。これまでのいいねに基づくような他者志向の承認欲求とはまたベクトルが異なるものです。

自己承認欲求の場合、自分を基準に自分を評価するため、満足するかどうかのさじ加減も自分に全て掛かっています。

 

「他者の目」が欲求の充足に完全に不必要になるという訳ではありません。他者の目は、正当性を担保した基準を取り入れるという点で、自己承認欲求においても少なからず必要なものです。ただ、自己完結が基本なので、自己承認欲求ベースでは他者の評価をほとんど期待しません。

この「他者の評価を期待しない」という嗜好が、FacebookとInstagramのいいね非表示機能に繋がっているのではないかと思います。

SNSに投稿して、いいねがつかなくても別に構わないのです。反応や返信がいちいちなくても気にしないのです。自分の視点から見て「いいね」と思えるかが最も重要な基準なのですから。

むしろ、他者からの過剰な評価や反応は自己承認欲求を満たすうえの障壁にさえなりえます。

 

 

自己承認欲求を核にすれば、他者という不安定な存在におびやかされることなく欲求を満たせるのですから、その満足度の安定性は他者志向の承認欲求とは比べ物にならないはずです。幸福度は高まるはずです。

ただ、非常にナルシスティックな行動原理であるとも言えます。あまりに自己へと傾倒すれば、社会とのコミュニケーションが困難になり孤立を深める結果となってしまいかねません。

いくら惚れ惚れしても、水面を覗き込み過ぎるのは考えものかもしれません。